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東京地方裁判所 昭和48年(行ウ)10号 判決

原告 アタール・セイン・ジエーン

被告 法務大臣

訴訟代理人 山田厳 田井幸男ほか五名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事  実 〈省略〉

理由

一  原告主張の請求原因1及び2の事実経過をもつて、被告が原告の在留期間の申請につき本件不許可処分をしたことは当事者間に争いがない。

二  そこで、本件不許可処分につき原告主張の違法事由が存するか否かについて判断する。

1  本件不許可処分がなされるに至つた経緯は、前記一の当事者間に争いのない事実に加えて〈証拠省略〉に弁論の全趣旨を総合すると次のとおり認めることができる。

(一)  原告は、昭和一九年頃から本邦において、インド国籍をもつアマルナス・セツト、ジヤガツト・ナラヤン・ジヤスワルらと共にカレー粉の製造販売事業を営んでいたほか、昭和二一年頃からシンガポール、香港に事務所を設けて貿易業を営んでいたが、右事業に関連して昭和三四年頃、関税法違反及び外国為替及び外国貿易管理法違反の嫌疑で捜査を受けた。そして、昭和三五年にアマルナス・セツトが名古屋地方裁判所において前記罪名で有罪判決を受けるに至つたが、原告及びジヤスワルの両名はそれよりさき、昭和三四年三月頃すでに本邦から出国し、そのため原告については右被疑事実につき公訴時効が完成した。

(二)  原告は、本邦を出国した後、インド本国に居住していたが、昭和四四年本邦に滞在していた前記アマルナス・セツトは、原告及びジヤスワルを被告として神戸地方裁判所に共同事業による利益分配を請求する訴え(同裁判所昭和四四年(ワ)第四七四号持分払戻請求事件)を提起した。一方、原告も、同じ頃インドに居住したまま、本邦の訴訟代理人を選任したうえ、原告がその所有に属すると主張する東京都千代田区九段所在の土地について、アマルナス・セツト及びゴバール・セツトらが経営する日印貿易株式会社を相手どり東京地方裁判所に土地所有権移転登記抹消登記請求の訴え(同庁昭和四四年(ワ)第四三号)を提起し、現在、右両訴訟事件は前記各地方裁判所において審理が進められている。

ところで、神戸地方裁判所の前記訴訟事件においては同裁判所から昭和四四年一一月七日付で期日呼出状などの訴訟書類をインド在住の原告宛送達する手続がとられ、原告もインドから昭和四五年一一月一七日付で応訴する意思がある旨の書面を神戸地方裁判所に送付し、同時に在インド日本国大使館に対して神戸地方裁判所の訴訟を追行する目的のもとに本邦への入国査証の交付を申請した。

右の場合、日本国大使館の領事官等が査証を付与するにあたつては、その許否について本国の外務省に経伺し、外務省が法務省に照会したうえ、領事官等に対して処理方法につき指示を与えるのを原則とし、在留期間が一八〇日以内であるような短期間の場合には事案により右の手続を省略して在外公館限りで査証を付与できる取扱いをしていたものであるところ、原告から前記申請を受けた前記大使館の領事官等は、申請の趣旨に鑑み、原告の本邦入国の目的が商用に属するものと判断して原告に対して商用査証を交付した。

そして、原告は、昭和四六年二月七日、羽田入国管理事務所審査官から在留資格四-一-一六-一、在留期間一八〇日を付与されて本邦に上陸した。

(三)  原告は、その後、昭和四六年七月二六日被告に対し訴訟追行の目的で在留期間の更新を申請したところ、在留資格四-一-一六-一を取消されたうえ、新たに在留資格四-一-一六-三、在留期間一八〇日を付与された。そして、原告は、昭和四七年一月一九日、前記と同様の在留目的を理由として在留期間の更新を申請したところ、被告は、原告の入国査証が前記のような経緯から在インド日本国大使館限りの判断で交付されたものであり、本国の外務省に経伺の手続がとられていないところから、その性質上短期の在留を許可したものにすぎないことを考慮して「今回限り」と許可証に表示したうえ、一八〇日間の期間更新を許可した。さらに、原告は、同年七月一三日に同一目的で更新を申請したので、被告は、前記訴訟事件においてまもなく原告本人尋間が行なわれるとの原告の説明及びこれまでのいきさつを考慮したうえ、再度「今回限り」と明示して一八〇日の期間更新を許可した。ところが、同年一二月二二日、原告は三たび同一目的で在留期間の更新を申請したので、被告は原告の査証が入国の目的からみて短期のものであるにも拘らず、来日して以来約二年間も本邦に滞在していること、原告がかつて関税法違反などの被疑事件につき公訴時効を完成きせた経歴をもつていることなどを考慮して本件不許可処分をするに至つたものである。

〈証拠省略〉のうち右認定に反する部分は採用できず、他に右認定に反する証拠はない。

2  ところで、原告が本件不許可処分について違法事由として主張するところは、結局被告が原告の在留期間の更新の申請につき許否を判断するにあたり、原告の在留の必要性に関する認定、判断を誤つて、裁量権の範囲を逸脱して本件不許可処分をしたというに帰するものであるところ、在留期間の更新の制度は、在留期間の満了によつて消滅すべき在留資格を例外的に存続させる制度であつて、もとより外国人に対し更新を受けることのできる権利を与えたものではないこと及び令二一条三項の規定の趣旨からすれば、本邦に在留する外国人からなされた在留期間の更新の申請につき当該外国人の提出した文書等により在留の必要性が多少なりとも認められさえすれば、法務大臣は申請を許可しなければならない義務を負担しているというものではなく、法務大臣は、その許否を決するにあたつては、自由な裁量により適当と認める資料を広く採用したうえ、当該外国人の経歴、当初の在留資格の性質、在留目的、従前の在留状況、在留期間更新の必要性などの点を総合的に検討して、令二一条三項にいう更新するについての「相当の理由」の有無につき判断することができる広汎な裁量権を有するものと解すべきである。

したがつて、更新不許可処分が違法として取消されるのは法務大臣において右の裁量権の範囲を逸脱したような場合でなければならず、在留の必要性がいささかでも認められるからといつて、そのことから直ちに更新不許司処分が違法となるわけのものでないことはいうまでもないところである。

3  ところが前記認定事実によると、原告に対してはその申請の趣旨に従つたため、入国査証の交付の段階で十分な審査が行なわれていず、それに伴つて原告に付与された在留資格が本来短期の在留期間を予定しているものであり、かつ原告は過去二回に亘り在留期間の更新を受けるなどしたため入国して以来約二年間本邦に在留しているのであつて、しかも右二回の更新に際してはいずれも「今回限り」との警告が発せられているのである。

これらの事実を前示した在留期間の更新の制度の趣旨及び令二一条三項の規定の趣旨に照らして考察すると、原告の本件在留期間の更新の申請を不許可とした被告の判断は、以上の諸事情を理由とする限りにおいてはそれ自体相当なものとして十分是認できる余地があるものというべきである。

そうとすれば、右のような諸事情が存在するにも拘らず、なお在留期間の更新を相当とする程の在留の必要性が認められないかぎり、本件不許可処分をもつて裁量権を逸脱した違法のかどがあるということはできないものといわなければならない。

4  しかるに、本件においては次に示すとおり原告の本邦に在留する必要性が右の程度に達するものであるとは認めることができない。

(一)  原告が本邦に在留する必要があるとの主張事実の理由とする請求原因3の各事実のうち、同(一)の原告が戦後本邦に滞在したことがあること及びアマルナス・セツトから神戸地方裁判所に原告主張のとおりの訴えが提起されていること、同(二)の原告が東京地方裁判所に右同人らを被告とする原告主張の訴えを提起したこと、同(三)のアンジヨナ・グプタが大阪地方裁判所に原告主張のとおりの訴えを提起していること、同(七)の原告がすでに七五才をこえていること、原告の息子及び娘が原告主張の日時来日し、在留していること、以上の事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実と、〈証拠省略〉に弁論の全趣旨を総合すると、原告の本邦に在留する必要性に関する事情は、次のようなものであると認められる。

原告は、かつて本邦に滞在していた間に東京都千代田区九段所在の宅地、神戸市生田区北野町所在の宅地、同市葺合区中島通り所在の宅地及び建物等をそれぞれ取得し、これを所有していたが、原告が前記のとおりインド本国に帰国していた間の昭和三五、三六年頃、アマルナス・セツトらは神戸家庭裁判所に対して原告の右各不動産につき不在者財産管理人の選任を求め、同人及びその他の者が財産管理人に選任された。そして、その頃同裁判所から原告の財産管理の必要費を支弁するために右不動産の一部を売却する許可が与えられたので、アマルナス・セツトらは神戸市の土地建物も他に売却してしまつたところ、原告は右セツトらの行為を違法としてその責任を追求する手続を準備中である。

また、本件不許可処分当時、原告は七四才であり、現に七七才に達し、原告の息子であるシリパール・ジエーン及び娘であるアンジヨナ・グプタらは本件不許可処分当時いずれも本邦に滞在していた。インドには他の息子が生活しており、原告とともに生活することができないわけではないが、その生活は必ずしも豊かではない。原告は、インドにおいて弁護士を職業としている者であるが、インドには何ら財産を所有していない。

原告の娘アンジヨナ・グプタは、本件不許可処分の当時大阪地方裁判所において日印貿易株式会社に対し損害賠償の訴え(同庁昭和四七年(ワ)第四、〇七三号)を提起しており、原告はその第一回口頭弁論期日から右アンジヨナ・グプタの輔佐人となつて右訴訟に関与している。

以上の認定に反する証拠はない。

(二)  原告は、右のような事実をもとにして、本件不許可処分は、憲法三二条及び通商に関する日本国とインドとの間の協定三条二項などによつて保障された原告の裁判を受ける権利を奪うものである旨主張する。しかしながら、憲法三二条の規定は、私人の裁判請求権を保障したもの、すなわち民事事件については権利又は利益を不法に侵害された私人が裁判所に救済を求めた場合に裁判所が裁判を拒絶することができない旨を規定したものであつて、原告の主張する条約等における「裁判を受けること」ができる旨の保障規定も同趣旨のものと解せられる。そうすると、原告は、本件不許可処分によつて、本邦に在留することが許されなくなるので、本邦に滞在したままで前記各訴訟を追行する場合に比し、より困難な事態に逢着することは否定できないであろうけれども、そうであるからといつて、本件不許可処分により原告の裁判請求権が直ちに拒絶されるというわけのものではないから、原告の前記主張は失当というべきである。なお、原告は、アマルナス・セツトらの責任を追求する手続に関し、本件不許可処分によつて原告が本邦に在留することが許されなくなれば、将来証言することが困難となるとして、裁判を受ける権利が奪われた旨主張するかのようでもあるが、本来、憲法等で保障される裁判を受ける権利は、私人に刑事訴追権を与えたものではないことは勿論、刑事手続に関与する権利までも保障したものとは解されないから、この点でも原告の主張は理由がない。

そうすると、前記認定事実によれば、原告にとつて本邦在留の継続を必要とする事情としては、東京地方裁判所、神戸地方裁判所に係属中の前記各訴訟事件に原告が現在当事者として訴訟追行を続けていること、原告の娘であるアンジョナ・グプタが提起した大阪地方裁判所の前記訴訟事件に原告が輔佐人として関与していること、本邦において原告が保全すべきと考えている財産があること、原告は今や七七才の高齢者であるが、身を寄せる先として日本に滞在中の息子、娘がいることなどをあげることができる。

しかしながら、前記各訴訟事件は原告自らが直接関与しなくともいずれも訴訟代理人を選任することにより訴訟を追行することが可能であるばかりでなく、原告はインドにおいて弁護士を職業とするものであるから、法律実務の専門家としてたとえ国外にあつても本邦における訴訟代理人に対し訴訟追行に関し適切な指示、助言を与えることができるし、必要なときは令所定の手続を踏んで再度本邦に入国することも十分可能である。また、原告が、目下準備中であるという財産保全のためにとるべき必要な手続についても、事柄の性質上当然本邦における弁護士を代理人に選任することによりこれを処理することができるものと認められる。更に、本邦には、原告の息子、娘らが滞在しているけれども、なおインド本国にも他の息子らが生活しておることでもあり、原告が本国において弁護士としての職業を生かすならば原告のような高令者であつても必ずしも生活が困難であるということはできない。

以上要するに、原告が本件不許可処分により本邦に在留できなくなるときは、従前と比較して原告の本邦における諸活動や生活に種々の不便、困難を伴うことは十分これを推察できるけれども、そうであるとしても、前示したところからすると在留の必要性はいずれも決定的なものということができないのみならず、もともと右の程度の不便、困難は、日本の国籍を有さず、かつ本邦において長期在留の資格をもたない原告が、それにも拘らず本邦において不動産を保有し、生活の本拠を構えたことから不可避的に生ずべき障碍にほかならず、そうとすれば原告としてもこれを甘受しなければならない筋合のものといわざるをえないのである。

しかして、原告の在留の必要性が右に示した態様のものであるにすぎない以上、右の必要性は、これをもつて、当初の査証交付の経緯、在留の目的、従前の在留期間の更新の経過等によれば前示のとおり相当として是認し得べき本件不許可処分に裁量権逸脱の違法があるとして、これを取消す事由とするには足りないものといわなければならない。

5  以上の次第で、本件不許可処分は、被告の裁量権の範囲内においてなされたものであつて、原告主張の違法はない。

三  よつて、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 内藤正久 山下薫 慶田康男)

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